私の中の「ヤーヤボールの小さな世界」

by Kazumoto on 08/28/2011
はてなブックマーク - 私の中の「ヤーヤボールの小さな世界」

Chiisanasekai

私の中には「心の狭い私」がいることを常々感じています。

  • 友人が続々出版している
  • 友人のような人を魅了する文章は書けない
  • 学友が私よりも豊かな生活をしている
  • 私が今は行けない場所で、友だちが孤軍奮闘してる
  • いつもコミュニティの中心で、華やいでる友人を見たとき
  • 逆立ちしてもできないセンスを持ち合わせている人と会ったとき
  • リスクを取り、自由に思う存分才能を発揮している人を見たとき。
  • 全て私にとっては大切な友人ですから、こんな時、無論素直に「応援」します。しかしその一方で「なんで私にはチャンスが回ってこないのだろう?」「なんで私にはセンスがないんだろう?」「なんで私は貧乏に甘んじているのだろう?」こんな惨めで妬ましく思う感情が上手く切り離せません。切り離せないことに気づいて、また私自身の心の狭さを嘆くという悪循環に陥ります。

    松本零士氏の『銀河鉄道999』というマンガの中に「ヤーヤボールの小さな世界」という一節があります。登場人物のヤーヤボールはまさにこういう醜い心の持ち主で、常に自分が最高の立場でないとダメな人。さらに将来、自分が見ることができないものを見、体験できないことを体験するであろう、主人公の鉄郎を殺そうとするという物語です。

    素直な羨望のまなざしが屈折して、こうした妬みの感情を発見した際、私の中には「ヤーヤボールが住み着いている」ことを感じずにはいられません。

    これをごまかすために身分不相応の見栄を張って無理もしました。身の丈に合わない生活レベルにチャレンジしたときもありました。はやりの服を買って、自尊心を守るための鎧として着ていた時期もありました。しかし、これらのヤーヤボール封じ込め作戦はことごとく失敗してきました。ちっぽけな自尊心を守るため、無理や無茶を重ねて、自分を取り繕っていた私がたどり着いたのは

    「私の価値が、私の所有物で決まるのなら、私の価値は無いも同然じゃないか。これは私の方が上だと誇示したいに過ぎない。たんなる自己満足。むしろ自己欺瞞だ」

    ということでした。正直愕然とした気づきでした。

    この事実に気づいた時、私の行動を見てみると、どういうわけか、いつの頃からか、初対面の人を値踏みするようになっていることにも気づきました。「その人が持っているもの(スーツや腕時計や靴や鞄など)」で値踏みをしているのです。

    持ち物で勝てないと次の尺度を持ち出します。「何をやっている人なのか」とか「どの程度の社会的地位にいるのか」といったことです。初対面の人に「従業員数は?」と問う人が多いのはこのレベルの値踏みをしているのでしょう。数が少なければ、規模が小さければ、地位が低ければ、自分の方が上だなと。

    何と卑しい行為ではないでしょうか?常に自分が上の立場でいたいという、小ずるい行為ではないでしょうか?その人の人となり、優しさ、懐の深さ、大らかさ、そういう良いところを見ず、自分が上であることを何とか見つけて、自己顕示欲を満たしたいという行為なのですから。

    「私の価値は、私の所有物の価値・社会的地位・属する組織の規模で決まるわけでは無い」

    今のところ、私の中のヤーヤボールに対抗する唯一の拠り所です。私の中のヤーヤボールに気づいた時、これを呪文のように繰り返しボソボソ言っています。

    持ち物や社会的地位でその人の価値が決まるわけではないはず。私には私の良さがきっとあって、それがあれば良いじゃないかと思うようにしています。機会を得られる価値が私自身にはまだあることを信じて。

    『銀河鉄道999』の最後はこういう文章で〆られています。

    「ヤーヤボールの小さな世界」・・・それは誰の胸の奥にもある恐ろしい世界だとメーテルはいう。鉄郎はどんなことがあっても自分の胸の中にはそんな駅を造るまいと思った・・・でもいつかそれが出来たらどうしようかと・・・・・・少し怖い気がした・・・・・・

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