【本レビュー】現代進化版『森の生活』『ぼくはお金を使わずに生きることにした』(マーク・ボイル著:吉田奈緒子訳)

by Kazumoto on 12/13/2011
はてなブックマーク - 【本レビュー】現代進化版『森の生活』『ぼくはお金を使わずに生きることにした』(マーク・ボイル著:吉田奈緒子訳)

514eY5YOjXL SS400この前のエントリー「秋岡芳夫展」を見て、今、私が感心があるのはワークスタイルもさることながら、自然環境との共存できるライフスタイルなのかもしれないなと強く意識させられることがありました。

秋岡氏が手がけられた給食の食器に職人手作りの木製椀食器を使うというプロジェクトの写真がそう思わせてくれたものです。木製の食器を使う子ども達の写真を見て、私はこれを「豊かだ」と感じました。皆さんの使った給食器の素材は何だったでしょう?アルミ?プラスチック?いずれにせよ、大量生産可能で安価に入手できるものだったでしょう。それは使い捨てを可能にし、効率的ではあったはずです。従ってこの写真を見ても「非効率的だ」と感じる人がいらっしゃっても不思議ではありません。

そうであれば、「豊かさ」とは何だろうか?「便利」とは何だろうか?最近改めて考え込んでしまいます。それは「成功」という言葉にも感じます。「成功」って何なんだろうって。お金持ちになり所謂セレブな生活が送れれば「成功」でその暮らしは「豊か」なのでしょうか?セレブが使っている煌びやかなモノは本当に「便利」なものなのでしょうか?そんな疑問です。

お金持ちとは対局の生き方を実践した男のありのままの暮らしを記したのが本書です。極端なライフスタイルを実践する人からの言葉から学べることはたくさんあるものです。著者曰く、「この実験で証明したいのは、お金がなくても「生き延びられること」ではなく「豊かに暮らせること」だとのこと。

この実験、半端なものではありません。「食」も「エネルギー」も自給して本当に一銭も使わず生活をしていきます。食料調達から、エネルギーとなる薪の調達、太陽光パネルの調達、石けんや歯磨き粉などの生活用品も植物や廃材から手作り。衣類はリサイクルを活用し、移動手段はちょっと手を加えた自転車と徒歩(しかもサンダルは手作り!)身近にあって数百円で買えるものでも(それは紙とペンであっても!)、お金がなければ自分で作るか労働という対価を払って譲ってもらうか、不要品を見つけるかと、モノを入手する手段は極めて限られたルールの中で生活をしていきます。もちろん事前に考え抜いて準備はしていますが、その準備も実験の趣旨に反した形で入手したものはありません。

かなり長くなりますが、著者がこの実験を始めることになった考えを引用してみます。


ある晩、親友のドーンと話していて、搾取工場、環境破壊、工場畜産、資源争奪戦争などの世界的な問題に話題がおよんだ。ぼくらの一生をかけて取りくむべきは、はたしてどの問題だろうか。かといって、自分たちにたいした貢献ができると思っていたわけではない。(中略)病んでいる地球のこれらの諸症状が、それまで考えていたように互いに無関係ではなくて、ある大きな原因を共有しているということに。その原因とは、消費者と消費される物との間の断絶である。われわれが皆、食べ物を自分で育てなくてはならなかったら、その三分の一を無駄にするなんてことは(これはイギリスで現に起きていることだ)しないだろう。机や椅子を自分で作らなければならなかったら、部屋の模様がえをしたとたんに捨ててしまったりはしないだろう。目抜き通りの店で気に入った服も、武装兵士に監視されながら布地を裁断する子どもの表情を見ることができたら、買う気が失せることだろう。豚の屠畜処理の現場を見ることができたなら、ほとんどの人がベーコンサンドイッチを食べるのをやめるだろう。飲み水を自力できれいにしなければならないとしたら、まさかその中にウンコはしないだろう。

心の底から破壊を好む人間はいない。他人に苦痛を与えて喜ぶ人など、そうそうお目にかかるものではない。それなのに、無意識に行っている日常的な買い物は、ずいぶんと破壊的である。なぜか。ほとんどの人が、みずから生産する側に立たされることはおろか、そうした衝撃的な生産過程を目にすることもなければ、商品の生産者と顔を合わすこともないからだ。ニュースメディアやインターネット上で実態の一端をかいま見る機会はあっても、その効果はたかが知れている。光ファイバーケーブルという感情フィルターを通すと、衝撃は大幅に減殺されてしまう。

こういう結論に達したぼくは、消費者と消費される物との極端な断絶を可能にしたものは何だろうかと思案した。たどり着いた答えはごく単純だ。「お金」という道具が生まれたその瞬間から、すべてが変わったのだ。最初はすばらしいアイデアだと思われたし、世界中の99.9%の人々は今でもそう信じている。問題は、お金がどう変わったかと、お金が何を可能にしたかだ。お金のせいで、自分たちが消費する物とも、自分たちが使用する製品の作り手とも、完全に無関係でいられるようになってしまった。消費者と消費される物との断絶は、お金が出現してからこのかた広がる一方であり、今日の金融システムの複雑さによって、ますます拍車がかかっている。こうした現実からぼくらの目をそらすために、周到なマーケティングキャンペーンがしかけられる。莫大な予算が投じられるだけあって、成果は上々だ」(P17-P18)


こうした著者の思想は、ソローの『森の生活』を連想させます。簡素でインディペンデントなライフスタイル。人間の暮らし、すなわち人生を豊かにするものは物質の消費ではなく、精神の在り様であり、それを支える労働であるという思想です。

しかし、現代版ソローとも言うべき著者は、都市にも出てるし、フェスティヴァルなんかも組織し、「分かち合い」の心を人々とシェアしていくことでお金を使わない生活を構築していきます。人と距離を取って孤独な山暮らしをするのではなく、人との積極的な関わり合いの中に「お金」を介在させないだけという点が異なります。そして、フリーエコノミーのインフラと情報網と理論が、実践の裏打ちを持って、きちんと出来上がりつつあるという点が特筆すべき点です。こういう思想が広まりつつ有ることに驚きを感じます。

ちょうどクリスマス商戦まっただ中です。特にアメリカのクリスマス商戦はもはや狂乱気味のようで、AFP通信の記事が紹介するニューヨーカーはこう答えています「まったくひどい消費主義のかたまりだよ。せっかくの感謝祭の祝日が『買い倒れの日』になっている」。

昔に戻ろうと主張する本ではありませんし、貧しく慎ましい暮らしがベストなのだと礼賛する本でもありません。しかし、お金の功罪を考える意味で、モノとの付き合い方を考える意味で、そして地球に負荷をかけない生活をすることは可能かと問う意味で、著者の生活からは多くの示唆を得ることができます。全くお金を使わないのは難しくてもいろいろと応用可能ではないか?というポイントがいくつも見つかります。

野菜や果物は誰かが精魂込めて育てたものであるはず。肉も生産者が居て、動物を殺し解体してパック詰めしてくれる人がいるはず。魚も同様。身の回りの製品(石けんや歯磨き粉、歯ブラシ、包丁などなど)も原料からどういう工程を経て誰かが作ったモノなはず。そんな当たり前のことが、末端の消費者にはまったく見えない世界。この世界に違和感を覚えたことがあるという人にはオススメです。

全部見習って明日からオレもお金を使わないぞ!とは行かないわけですが、自然と人、人と人との付き合い方を仕切り直したこの実践。重要なのは「分かち合い」の精神。『フリー』『シェア』『パブリック』と価値観を揺さぶる本が続々と出ていますが、それらを混ぜた生き方とも読めると思います。

日本も東日本大震災以降、いろいろな綻びが露見してきています。きっと皆さんの価値観も大なり小なり揺らいできていることでしょう。ライフスタイルを今一度見直すにも良書だと思います。

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

Facebook Comments

No comments yet.

Write a comment:

You have to log in to write a comment.

Get Adobe Flash player