はじめの一歩を後押しできるか?

by Kazumoto on 03/6/2012
はてなブックマーク - はじめの一歩を後押しできるか?

過日、友人からこういう質問をされた。

「kazumotoさんは、うつ病から回復するとき、何がキッカケで仕事術とかライフハックとかに取り組もうって思えたの?」

聞けば、この友人の同僚が今まさに体調を崩しているそうで、何か助けになれればという一念からの質問とのこと。咄嗟には考えがまとまらなかったので、曖昧な回答でお茶を濁してしまった。

健康な人であっても「やらない」人は多い。参考書を買っただけでやった気になってしまって、やらなかったという体験した人は多いことだろう。うつ病を患ってしまうと、参考書を買うということすら、そもそも何かに取り組もうという気すらなくなる。うつの底から抜け出す最初の一歩、この一歩を踏み出すように周囲が後押しすること、もしくはそう仕向けることはできるのだろうか?

うつ病という病の典型的な症例のひとつに「今まで興味があって、楽しんでいたことが、全く興味も持てなくなり、全く楽しくなくなる」というものがある。私の場合は、愛犬と遊ぶことすら苦痛に感じるようになった。美味しいものを食べているはずなのに味がない。美しい音楽のはずなのに、音に責められている感じがする。心地よいはずの暖かさもどこか非現実的で、暖かみを感じない。

映画でよくある、日常生活から全ての色が消え失せ、モノクロの世界になってしまうシーンが近いように思う。その生気の無いシーンが延々と続く。しかし、何も見ず、何も感じないで済むのだから、モノクロの世界はとても居心地が良い世界だ。周囲からの言葉は全てノイズだ。ただし、「死」への一歩は異常な魅力を放ち続ける。生気の無い世界をより完璧なものにする最後の一手が「死」だからである。苦痛に満ちた色の付いた世界に戻りたいだなんて露程も思わないはずだ。この安定した世界にいる人に、「この世界から出よう」と思わせるということは容易ではない。

私は、妹と甥が殺害されたという連絡を受け、その後始末を必死に行っているうちに、知らぬ間に色がついた世界に戻っていた。生きるということは死に向かって歩んでいるということである。そこが終着駅だということは重々承知だ。しかし、妹の死に顔は、終着駅という言葉から想起されるノスタルジックなイメージとはかけ離れたものだった。憧れ続けていた死に裏切られたと思った。ここが目的地であって良いはずがないと私は感じた。そう感じたことで、死ではない方向へ一歩踏み出すことができた。

私の場合は極端な例だと思うので、参考にはならないかもしれない。しかし、ここまで大きな外的要因がなければ「この世界から出よう」とは思えないものだということは伝わるのではないか。即ち、モノクロの世界の住人に対して、周囲の人が何かしてあげられることは「ほぼ無い」のだと思う。

できることは恐らく、「死」の方向へ踏み出さないように「あなたを気にかけている」と伝え続けること、ヨロヨロと一歩を踏み出した時に支えてあげることだけだろう。そんな余裕は無いと言われてしまうかもしれないが、本人を信じて待ってあげて欲しいと思う。

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

Facebook Comments

No comments yet.

Write a comment:

You have to log in to write a comment.

Get Adobe Flash player