【思考の断片】消え入りたくなるくらいの劣等感を役立てる方法について

by Kazumoto on 07/11/2012
はてなブックマーク - 【思考の断片】消え入りたくなるくらいの劣等感を役立てる方法について

Jump

誰に指摘されたわけでもないのですが、消え入りたくなるくらいの劣等感を感じる時が多々あります。

「私は、とてもじゃないけど、あの人のようなスゴイことはできない」
「私は、あの人のように頭が良くないからダメだ。」
「私は、あの人のような実行力も分析力もない」
「私は、何か人に見せられる特技が何一つない」
「私はみんなが持っている物を買えないから、仲間に入れてもらえないかもしれない」
「今は笑顔で話してくれているこの人も、きっと心の底では、ウザがっているに違いない。私はコミュ力が低いから…」
等など。

例を書き出したら延々とキリがありません。

SPONSORED LINK

自分で自分を卑下してしまう感情。これは、思わず、叫びだしたいくらい耐えかねるものですが、どう叫べば良いものかも判然とせず、結局グッと堪えるしかない類の、実に表現しづらい感情です。更に、この感情は、応援したい人や、近しい人の活躍を目の当たりにした時に、顔を出してくるという厄介な性質まで兼ね備えています。

たとえば、私は、ブログやSNSを通じて、憧れのブロガーさんや多様な才能を持った人たちと、大勢知り合えたという幸運に恵まれました。皆さんから、大いに刺激を受け、勉強させていただいています。

しかし、親しくなればなるほど、彼ら・彼女らの凄さをまざまざと見せつけられ、そのあまりの眩さに目が眩みそうになることが無いかと言われればウソになります。

憧れのブロガーさんが見ている景色と同じものを見てみたい、あの光の輪の中に入ってみたいというのは、行動・成長の原動力になりますが、その一方、振り返って自分を見た時、そこには影どころか、ポッカリ空いた穴しかなかったといった「自分には何もない」という恐怖を感じることがあるのです。

何か生き抜いていく武器になるようなもの__デザインだったりプログラムだったり、語学だったり文才だったり__があれば別なのかもしれませんが、のんべんだらりんと生きてきただけの私には、他人にValueを感じていただけるような、スペシャルな能力が何一つ無いので、余計に劣等感を助長してしまいます。

深い劣等感を覚えていることは、どこか引け目を感じる、恥を感じる類のものなので、なかなかさらけ出せる類のものではありません。でもどうにかしようと、自分からも他人からも悟られぬよう、覆い隠す為に、あたかも自分が優秀であるかのようにふるまってみたり、周りの人を見下す事で、劣等感を解消しようとする方法を取ってしまうこともあるでしょう。

しかし、これらの方法は、良好な関係を築く上では、マイナスになることはあれ、プラスになることはない方法です。傲慢で他人を見下す人と、良好な関係を築ける人はそうはいないはずですから。

他の方法として、他人になることはできないし、他人と比べても意味が無いのだとして、距離を置くという方法があります。しかし、社会の中で生きるということは、他人との関係性の中に生きることです。山奥に引きこもった仙人ではない以上、他人と距離をおこうとしても、その眩しい光は否が応でも目に入りますし、憧れをもっている以上、目をそらすことすら困難と言わざるを得ません。

「ピンクの象を思い浮かべないでください」と言われてしまうと、脳内では「ピンクの象」が浮かんでしまいますが、それと同じで、「他人と比べないでください」と言ってしまうと、「余計に他人と比べてしまう」ものなので、この方法もなかなか上手くいくものではありません。

では、どうやってこの強烈な劣等感と折り合いをつけていけば良いのでしょうか?いや、一時劣等感をなだめることができても、すぐに顔を覗かせますから、いっそもっと野心的に、この劣等感というマイナスの感情をプラスの役立つものに変えてしまう方法はないものでしょうか?

思いついたのは

・劣等感は理想の裏返し

ではないかという仮説です。

他人が眩しければ眩しいほど、劣等感を感じてしまうわけですが、実はその相手の眩しさの中に、「自分がこうありたいという理想」を見ているのではないかと思ったのです。

劣等感というのは、相手の中にある自分の理想に対して、自分がまだそこまで至っていない事に対して、そこにたどり着く何かがない自分に対して、焦り、恐怖、不安などの感情が複雑に絡まったものとも捉えられるのではないかと思います。

そうであるなら、理想にたどり着くのに、これだけ__それは相当な質と量の差でしょうし、遥か彼方の頂に怯んでしまいかねませんが__足りないということがわかれば、一歩一歩小さな進歩を積み重ねていく、道筋を見いだせるかもしれないと、劣等感を、理想とする目的地をへの羅針盤・地図として使ってしまうことはできないのでしょうか?

理想の生き方を書いてみてと言われても、スラスラと書ける人は案外少ないものです。理想を見つけるために、苦しいことですが、自分が何に劣等感を感じているのかを見つめ、理想を探すのに役立てるというのは、一般的に、克服しなければならないものとされる劣等感の違った使い方ではないかと思います。

「人並みの生活」すら営めない私が、「人並み以上の生活」を目指すこと自体が間違っているのかもしれません。「普通のこと」すら満足にできない私が、「普通からはみ出す生き方」に憧れてしまうのは単なる逃げなのかもしれません。心の何処かで、そう思っていることが劣等感となって現れてきているのではないかと思うこともあります。

また、劣等感は、何かにチャレンジしようとする時、こうも囁いてきます。

「お前はまだ十分じゃない」
「お前は一体何様だ!?」

理想を見つけるなんてことが、既に身の丈を超えているのかもしれませんが、こうした心の声を跳ね除け、劣等感をも利用し、今とは違う地平を目指すことはできないものか、それが出来れば…少しは自分に自信が持てるようになるかもしれないと思ったりするのですが…

はてさて…

SPONSORED LINK

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

Facebook Comments

No comments yet.

Write a comment:

You have to log in to write a comment.

Get Adobe Flash player